遅咲き人生

人生100年時代。60歳は半ばすぎです。「まだまだ働かないと」「残りの人生なにしようか?」「何一つおわっていない」。

いろんな思いにさいなまれてることでしょう。

そこで「遅咲き人生」の方に焦点をあててみましょう。

伊能忠敬

18歳で名門商家 伊能家に養子に入り、その後没落に瀕した伊能家を見事再建。財をなし50歳で隠居。それから江戸に出て19歳も年下の天文学者に弟子入り。56歳で蝦夷地の測量をはじめ71歳で日本全国の測量を終え74歳でこの世を去る。

小さい時に母親をなくしたり父親と別居したりでグレた時期もありましたが、心入れ替え養子に入った伊能家立て直しに精力を注ぎました。お家復興のためには地域が元気でなければならないと思い江戸で地元の農作物を売る支店をもうけ活性化をはかりました。

村民にも慕われ、飢饉のときもおしみなく地域に貢献し村民を救うこともあった。この時の資産はかなりのもの。忠敬50歳で家督を譲り隠居。

もともと天文学、暦に興味があり伊能家の人々の理解や潤沢な資産も手伝い江戸で天文学者高橋至時(よしとき)に弟子入りしました。

当時、幕府では暦の改変が叫ばれており民間の優れた天文学者である至時に白羽の矢がたてられていた。

忠敬は基礎的な知識をもち高額な外国の器具も多数持っていました。「金持ちの道楽」ぐらいとしか思ってもらえなかった周りの人達からも、あまりの熱心さに次第に尊敬されるようになりました。

至時や間重富(天文学者)が中心となり1797年に「寛政暦」を完成させた。しかし至時は満足してなかった。

暦を正確に知るためには、地球の大きさ、日本各地の緯度経度を正確に知る必要がある。

そのためには江戸から蝦夷地までの正確な距離が掴めれば地球の大きさがわかると判断しました。

この時期外交的には北方でロシア船たびたび出没し幕府も脅威と感じていた。このことを鑑み至時は蝦夷地に正確な地図を作ることを幕府に願いで、同時に江戸から蝦夷地までの距離も測量しようと考えました。

それからも紆余曲折をへながらも1800年、55歳で幕府からは満額回答ではなかったものの正式に許可が下り出発する運びとなる。

第一次∽四次測量、東日本へ入る訳ですが知名度もなく、予算も少なく第一次だけでも自腹でいまの金額に直すと数千万の大金を払っている。しかしこのときの結果が幕府の重鎮に知れることになり知名度が上がり始めました。

四次測量まで、昼は測量、夜は天体観測。江戸に帰れば地図ずくり。そして『日本東半部沿海地図』を作り上げた。忠敬61歳。

この出来栄えは幕府にもかなりの影響力をもたらしたと思われます。

第五次測量から西日本に入るわけですが1804年なんと師匠である高橋至時が41歳で亡くなってしまいます。

もともと至時は、西日本は間重富にやらすつもりでしたが至時の死去で後継に至時の息子景保が選ばれその補佐役に重富が担当することになりました。そのため西日本の測量も忠敬が受け持つことになった。

西日本の測量は幕府の直轄事業になったため予算や人手も増やされ、測量先でも藩の受け入れ体制が進み格段にやりやすくなった。

しかし西日本は予想よりも海岸線がはるかに複雑で離島も多く測量は計4回11年も要するようになりました。

測量は計10回に及び終わったときには71歳。これから全日本地図作成に取り掛かる。1817年秋頃から病床に着くことが多くなる。

1818年5月17日 お弟子さんたちに見守れながら息を引き取りました。享年74歳。

死後3年たった1821年『大日本沿海輿地全図』と名付けられ景保や孫の忠誨(ただのり)らは登城し地図を広げて上程した。

その後明治以降もこの地図は日本の近代化とともに日本地図の基礎となりました。

上野源空寺

千葉県香取市伊能忠敬記念館

200年も前に50歳から本来、自分のやりたいこと始めて71歳までやり遂げ、その時は歯なんかボロボロだったそうです。彼こそが究極の「遅咲き」です。もちろん潤沢な資産は稼いでいたわけですけど、それだけでわなさそうです。 

自分と真剣に向き合う

「遅咲き」と呼ばれる人は他にもたくさんいます。

  • 安藤百福 チキンラーメン
  • 松本清張 推理小説家
  • カーネルサンダース ケンタッキーFC                
  • レイ クロック   マクドナルド
  • 井上貞治郎      レンゴー
  • 水木しげる      漫画家

テレビやマスコミでは連日若い成功者が出演したり取り扱われます。でもこの世界はある種、特別な世界です。ほんの一握りの人たちです。

むしろ実社会では「遅咲き」が当たり前なのです。そしてこの人たちはいろいろな経験を積みながらしっかりと自分と向き合ってきた人たちです。もちろん成功にはいろいろな要素がありますがその中でも一番大切なのが「嘘のない自分と向き合う」ことではないでしょうか。

それではどうもありがとうございました。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク